Theチャレンジ紹介

第1回 「代表取締役社長 服部 孝夫さん」

◆はじめに

フレーフリーチャレンジャーの記念ある第一回目の社長さんは、最近大変お世話になっており、社労士でもあり、(株)Credoの社長である服部孝夫さんです。インタビューのお願いをした際、快く承諾して頂きました。

全部で3回に分けて掲載したいと思います。


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社会保険労務士、キャリアコンサルタント
服部 孝夫さん
株式会社 Credo 代表
ハットリ社会保険労務士事務所 代表


HP:http://www.credo-sr.com/index.html
経歴

中京大学社会学部社会学科卒業後、建材メーカーに入社
営業部門にて国内最大級の商社を担当し8年間勤務
退職後、ブランド子供服&婦人服のリサイクルショップポコアポコを起業
社労士の資格を取得し、ハットリ社会保険労務士事務所を開業
2007年(株)Credo設立 代表取締役に就任

プロフィール

生年月日 昭和42年 10月5日/血液型 A型
趣味:ウィンドサーフィン、アイスホッケー、バイク(大型自二)、弓道(弐段)、一級小型船舶
家族構成: 妻、長女、次女、長男
好物:スナック菓子
悩み: すぐ太ること
人生を変えた出来事: 胸腺カルチノイドで、胸開手術&抗がん剤治療を克服
信条:『約束は必ず守る!』

▼ 服部 孝夫さんインタビュー

«No.1»
  1. 社労士としての顔、(株)Credo社長としての顔…想いは一緒
  2. 人生で一番のチャレンジは、会社を辞めたこと…そして妻の一言で…
«No.2»
  1. 事業当初、お客が来ず、妻と二人でゲームボーイ、あるTV番組で…
  2. 社労士試験、4度のトライ、不合格、でも…
«No.3»
  1. 今、チャレンジしていること、大切にしていること…
  2. 社員がチャレンジできる環境とは…
  3. 他にこんなことも聞きました。
    事業当初の感情/13年前の服部さんへ、今の服部さんが伝えたいこと
    今の服部さんへ、5年後の服部さんからのメッセージがあるとすると
    先生って呼ばないで

«No.1»

1)社労士としての顔、(株)Credo社長としての顔…想いは一緒

たばた 「忙しい中、インタビューの承諾を頂きありがとうございます。早速なのですが、服部さんは、社労士でもあり、株式会社Credoの社長ですが、特徴を教えて下さい。」

服部さん 「はい、まず社労士としては、人の分野としてのサポート役です。税理士さんがお金の分野でのサポート役である様に。私は人の分野での相談役。経営者がよく言う様に企業は人なりとよく言われます。人は石垣、人は城。人がどういう気持ちで働くかによって、会社は変わってくる。経営者のやりたい思い、つくりたい会社をつくるための必要な資源である人を生き生きとさせていく、問題を悪くさせない、ガン細胞化させない、そういったサポートをしていくことが仕事ですね。」

たばた 「株式会社Credoも立ち上げられていますが、こちらの思いは?」

服部さん 「社労士としての仕事との線引きをするために立ち上げました。人材教育など、やはり働く人が大事なので、企業に対しての研修、また、キャリアコンサルタントとしての活動もしていますので、これら全てを(株)Credoでやっています。キャリアコンサルタントになりたい人のための専門学校の講師もやっています。人材育成も大事だと感じましたので、社労士の側面と違った側面で、企業をサポートしていきたいため、㈱Credoを立ち上げました。社労士としてだけではなく、人材育成・研修の側面でも、サポートしたかったんです。」


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2)人生で一番のチャレンジは、会社を辞めたこと…そして妻の一言で…

たばた 「社労士としても、もちろんですが、人材育成の側面も考えて、(株)Credoも立ち上げたんですね。その様な活動を行っている服部さんですが、ここまで、服部さんが辿り着くまで、いろんな困難があったと思うのです。そして、当たり前ですが、行動した結果だと思います。人は、行動とるときに軽やかに行動に移せる人と二の足踏む人がいると思います。私は、新しい行動をとることやターニングポイントだと思った時に『エィ!』と行動がとれることをチャレンジという表現を使っているですね。そんな軽やかに行動ができる世の中がいいなと思っているんです。
そこで、服部さんが今までの人生で一番チャレンジしたこと、そして、その時なぜその様な行動がとれた秘訣も、合わせて教えて下さい。」

服部さん 「うーん。まず、たばたさんのみんながチャレンジできる世の中という考えは、私は世の中そうならないと思っています。それは、全部自分次第だと思っていますね。その風潮を待っているだけの人は、チャレンジできないと思います。自分が変化できる自分なのか、その時に飛び込める自分なのか、がポイント。

そして、一番のチャレンジだったなーと思うのは、独立するために、会社を辞める決断をした時ですね。
 

平成10年で、30歳の時。今から13年前なんですが、会社を辞めるというのは、勇気のいること。

当時、子供はいませんでしたが、私は結婚していました。自分以外の人の人生を預かっている責任ある立場だったのです。そんな状況の中、自分の身勝手で、会社を辞めるというのは大変勇気が要りましたし、すごく悩みました。


当たり前ですが、その時、妻に相談したんです。『どうしようか?』と。
 

相談したら、妻は軽く『やってみればいいじゃん』と。
 

そして、後に続いた言葉が、『ダメだったら、夜逃げすればいいじゃん』だったんです(笑)
 

一般的に、まあ、何が一般的かわからないですが、私みたいに、男として何かやりたい・チャレンジしたい気持ちが芽生えた。でも、妻に対して責任もある。そんな時、妻に相談すると『えぇー、大丈夫なの?やっていけるの?ダメだったらどうするの?』というのが普通だと思うんですよね。それに対してやるのか、やらないのか、どっちかだと思うんです。
 

だけど、私の妻は普通じゃない(笑)ものですから、応援してくれた。自分の背中を押してくれたんですよね。
じゃ、やってみよう!ということになったんです。
 

彼女の一言というのが、私の人生を変えた大きなターニングポイントですね。
 

ただ、妻は賛成してくれましたが、やはり、彼女の周り・両親は当然のことながら、反対する。

『自分の娘を路頭に迷わすために、嫁にやったんじゃない。そんなのやめてくれ、会社勤めでいてくれ』と。
それはもっともな話。
 

そう言われたんですが、会社を辞めて、独立しました。そして、その心配を悪い言い方すればですが、成功して見返してやろう、というエネルギーに変えたんです。
周りの人に『ほら、言わんこっちゃない』と言われないように。背水の陣といいますか、自分をそこまで逃げが無いように追い込んだ。
 

彼女の両親に対しても、そして辞める会社の人達にも、カッコ悪い自分ではいたくなかった。
独立するために、会社をやめる訳ですが、辞める会社の人達に、『自分の夢、自分のやりたいことをやるために、会社を辞める』と宣言した手前、いつでも顔見せできる自分でいたかった。恥ずかしくない自分でいたかった。これが例えば、夢を追いかけるんだということで辞めたけど、うまくいかなくて、また会社勤めに入ったら、ステップアップじゃなくて、ステップダウンじゃないですか。実際、その様にやっている人もいますし。
そうなったら、会社の人に会いに行けない。タンカきって辞めたのに会いに行けないのです。そんな自分になりたくない。
絶対結果を出して、夢を追いかけて会社を辞めたけれども、ホントにやっているんだ、という自分で居続けるという決意があった。」

たばた 「奥様のご両親に対しても、会社の人に対しても、恥ずかしくない服部さんで有り続けたかったんですね。」

服部さん 「そう、カッコ悪い自分でいたくないということです。辞める時の勇気というのは大きかったですし、やはり、妻の一言で進む力をもらいました。辞めた後、うまくいくばかりでなく、むしろうまくいかないだらけ。(妻の周りの人・辞める会社の人からみて)カッコ悪い自分でいたくない気持ちを、突き進むパワーにし、奮い立たせてやっていきました。」


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会社を辞める決断が、今までの人生で一番チャレンジだったという服部さん。それは、奥様の後押しがあって、出来たと言います。応援者がいると、人は前に進むことが出来ると感じました。また、独立後は、奥様のご両親・辞める会社の同僚に対して、かっこ悪い自分でいたくない気持ちを前進するパワーに変えたと言います。あらゆるものを、エネルギーに変えることも、大切な要素だと感じました。

«No.1»は、ここまでです。«No.2»は、独立後の詳しい様子をお伺いしました。お楽しみに。


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